炭疽菌(Anthrax)

自衛隊中央病院 箱崎 幸也・越智 文雄・宇都宮 勝之

炭疽菌(Anthrax)

病原体

グラム陽性芽胞形成菌Bacillus anthracis、ヒトからヒトヘの感染はない

潜伏期間

平均5日間(1日〜8週間)

病態

感染経路や病態から、吸入(肺)炭疸、皮膚炭疽、腸炭疸の3型に分類

初期症状

鼻閉感、関節痛、易疲労、空咳など感冒様症状と類似

進行症状

発症2〜3日後に、呼吸困難、発汗、低酸素血症、血圧低下、チアノーゼ、髄膜刺激症状、痙撃、昏睡、ショックが出現

診断

鼻腔スメア検査(グラム・ギムザ・莢膜染色)で莢膜を有する大桿菌の確認。胸部X線や胸部CTなどで、縦隔拡大を確認

致死率

吸入炭疽では、無治療でほぼ100%死亡(集中治療では、40%以下)

概要

グラム陽性芽胞形成菌Bacillus anthracis が、感染草食動物(牛、馬、羊)より皮膚、消化管、呼吸器から侵入し感染する。この細菌は芽胞を形成し、熱や乾燥に強くエアロゾル化しやすい。
ヒトからヒトへは感染しないが、エアロゾルでは感染力が長期間持続(数十年)し散布も容易になる。芽胞が、生物兵器の一般的な感染形態となる。侵入経路により臨床症状は大きく異なり、致死的なのは上気道からの吸入(肺)炭疽(無治療でほぼ100%死亡)である。
炭疽菌は9.11同時多発テロ以降、米国で22名の肺炭疽患者が発症し、全米だけでなく全世界を震撼させた。本邦でも、オウム真理教が東京・亀戸の教団道場付近で炭疽菌(動物用ワクチン株)散布の事実も判明した(※7)
炭疽菌は天然痘とともに生物剤の中では最も脅威となり、この両者を用いた生物テロの可能性はさらに高まっている。

疫学/生物テロ関連

炭疽は炭疽菌によって起こる疾病で、全世界に存在する公衆衛生上極めて重要な人畜(獣)共通感染症である。
Davaineら(1850)が感染動物の血液中に発見し、ロベルト・コッホ(1870)が純粋培養に成功して病原性を証明し、ルイ・パスツール(1881)が弱毒生ワクチンを創製した。皮膚炭疽の病変部が、石炭のように黒く見えることからギリシャ語で石炭を意味するanthracisの名称がついた。
アジア、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカと全世界で今でも発生が見られ、トルコ-パキスタン間は炭疽ベルトといわれるほどに多くの患者が発生している。特に媒介動物や増幅動物は存在しないが、象、バッファロー、ウシなど草食動物に日常的にみられる。肺感染(吸入炭疽)は、従来主に羊毛工場における汚染空気の吸入によって生じていたが、今日では非常にまれである。
米国では全炭疽患者の約5%が吸入炭疽であり、1900〜1978年までの間に18例が罹病し16名が死亡している。その後20年間、米国では吸入炭疽の発生例は報告されなかった。最近の米国における炭疽患者は、皮膚・腸炭疽をあわせても年間1例程度である。
我が国では、1965年に岩手県で密殺解体したウシの肉を食べた集団発生事案があり、1973年までは毎年1〜2人の発生報告があったが、1994年東京都と宮城県に各一例発生したのを最後に報告はない。
炭疽菌は、生物兵器が備えるべきほとんど性質を待つ理想的な細菌である。1950〜60年代に米国で兵器化され、芽胞の分離技術が開発された。この技術はイラクや旧ソ連でも保有されており、炭疽菌芽胞が生物テロに用いられる可能性は高い。炭疽菌を製造し貯蔵することは比較的簡単である。
広い範囲に散布するのは困難であるが、飛行機からエアロゾルを散布したり、芽胞を入れた小さな爆弾を爆発させることにより実行可能である。
1979年旧ソ連スヴェルドロフスクにあった陸軍生物学研究所炭疽乾燥プラントの漏出事故で、周辺住民77人感染66人が死亡している(※8)

炭疽菌の生物兵器/テロの容易性・脅威

  1. 大量生産しやすくコストが低く、取り扱いが易しい。
  2. 安定して長期間保存でき、温度変化や爆発にも耐えられる。
  3. 微量の菌で発病させられる(吸入炭疽は8,000個以上の芽胞で発病)。
  4. 接触・飛沫・空気・経口感染など、多様な経路で感染させられる。
  5. 潜伏期間が短く、症状が激烈で治療が難しく、致死率が高い。

病原体(※8)

特性

炭疽菌は、人畜(獣)共通感染症である炭疽(anthrax)の病原体で、バシラス科Bacillaceaeバシラス属Bacillusの通性嫌気性*グラム陽性桿菌である。典型的な土壌菌で、土壌表面に現れた芽胞が、外気温に暖められた沈泥中などで増殖する。
自然界では牛、羊、馬が感染し、これらの肉、骨粉、皮革を扱うと、直接接触により人に感染する。大気中では、CO2存在下で数時間内に芽胞を形成し、栄養素がない状態でも数十年間土壌や動物製品中で生存できる。
紫外線、乾燥、消毒剤、pHにも非常に強く、芽胞を死滅させるには140℃(乾熱)3時間または120℃(湿熱)10分間の加熱を要する。
※通性嫌気性:発酵と呼吸が切り替えられ、酸素の有無に関わらず増殖できる性質。

形態

炭疽菌は病原菌のうち最も大型(1〜1.5x3〜10µm)で、感染動物内では単独か短い連鎖だが、人工培地で培養した場合は菌体の両端が竹節状になり長く連鎖する。コロニーの表面は粗(すりガラス様)で、辺縁は波型にウエーブした頭髪状になり「Medusa's head」と形容される。菌体中央部に楕円形の芽胞(1xl.5µm)を形成する。
動物体内では、腸で芽胞の殻が取れて、菌体の周囲にD-グルタミン酸のポリペプチドからなる透明な莢膜を形成する。

病原性

炭疽菌が産生する毒性因子には毒素(toxin)と莢膜(capsule)の2種がある。炭疽菌はこれらの毒性因子に対応するプラスミドpXO1およびpXO2を有している。毒素を構成する要素は防御抗原、致死因子、浮腫因子の3種であり、その組み合わせにより毒素を生じる。
防御抗原(Protective Antigen)は、毒素・浮腫因子(Edema factor)と結びついて細胞のcAMPを上昇させ、感染動物に浮腫を起こす。毒素・致死因子(Lethal factor)は防御抗原と結合し致死毒素となり、マクロファージからのサイトカイン(腫瘍壊死因子α、イン夕一ロイキン1β)放出を促進する。
発病後に抗生物質を投与しても、回復し難いのは、この毒素のためとされる。

検査

検査所見では白血球増加(好中球優位)がみられるが、特異的な所見はない。
胸部X線・CT検査では、縦隔拡大・胸水を認める。最も重要なのは、炭疽菌の確認である。

検体検査

吸入炭疽では鼻咽腔スワブ、喀痰、血液、胸水の検体採取を行い、髄液の採取も出来るだけ平行して行う。血液培養は、抗菌薬による治療前が望ましい。喀痰からの菌検出は困難なことが多く注意を要する。
皮膚炭疽では、水疱内容物の菌検出が最も有効であり、瘢痕期では痂皮内容物を検体として提出する。腸炭疽では、便、血液からの菌検出が重要であり、出来るだけ髄液、吐瀉物、腹水の採取も行う。
ヒト検体の処理では、二次感染に細心の注意を払い、徴細な皮膚外傷を通して感染する可能性があるので、検体は手袋を着用して取り扱う。検査済みの痰や臓器などの検体は焼却処理が最も効果的で、使用した器具は全てオートクレーブで滅菌処理するか焼却処埋する。

粉末/検体の検査・検鏡法

粉末をシャーレあるいはチューブ(プラスチック)に集め、ごく一部を滅菌PBS(リン酸緩衝液)で浮遊させる。スライドグラス上に滴下塗抹し、検鏡検査を実施する。一部はBHI(Brain Heart Infusion)液体培地を用いて培養し分離・同定する。患者材料からの検体も、直接塗抹標本及び分離培養により菌を検出する。検査は、レベル2での安全キャビネット内で実施する。
塗抹染色の検鏡はグラム、ギムザ、莢膜染色にて、莢膜を有するグラム陽性大桿菌の確認が最重要である。莢膜に包まれたグラム陽性桿菌は炭疽菌を強く疑わせ、増殖した細菌は莢膜に包まれた2〜4個の細菌が連なった短鎖状に見える。陽性検体では、菌体周囲に明瞭な透明の莢膜が認められる。

病原体検出法(※9)

培養法

標準的な血液培地(Standard Blood Agar:SBA)または栄養培地(Nutrient agar with 0.8% bicarbonate)に、35〜37℃、5〜20%CO2下で一晩(18〜24時間9培養すれば、特徴的なCapsule(莢膜)を有するコロニーを形成する。
早いものでは8時間で培養可能であり、血液培養が陽性であった場合は、直ちにグラム染色を行い莢膜に包まれた桿菌を確認する。引き続いて、SBAやマッコンキー寒天培地でサブカルチャーする。

コロニーの特徴

SBA培地で35〜37℃、15〜24時間培養すると、炭疽菌が良好に分離されれば直径2〜5mmのコロニーとなる。
平担な、あるいは若干凸のコロニーは不現則な円形で、少々波状(不規則)の境界を呈する。外見はすりガラス様でコロニーのエッジからの突出が見られ、「メデューサの頭」などと形容される。上記のコロニーに、通常のグラム染色、メチレン ブルー染色、ギムザ染色などを施すことにより、特徴的なCapsule(莢膜)を確認出来る。
初代培養を判定する際、SBA培地とマッコンキー寒天培地上の発育程度を比較する事が大切である。
炭疽菌はSBA上ではよく発育するが、マッコンキー培地では発青しない。SBA培地で発育した炭疽菌は、莢膜はなく長い鎖状を呈する。5%CO2存在下の寒天培地や0.8%重炭酸を含む培地で発育した場合は、厚い莢膜に包まれた炭疽菌が認められる。さらに他のバシラス属(セレウス、チュリンギエンシス)との鑑別に、留意しなければならない。

その他の検出法

  1. アスコリー熱沈降反応法(Ascoli thermoprecipmn test)
    感染動物の脾臓の加熱抽出液を抗原とし、炭疽菌免疫血清との間で沈降反応を行う。
  2. γ‐ファージ溶菌試験
    γ‐ファージに感受性がある。
  3. パールテスト
    ペニシリン加寒天培地で真珠首飾り様に膨大。炭疽菌がペニシリンに感受性があるために起こる現象で、ペニシリンに耐性を有する炭疽菌は陰性になる。
  4. 間接蛍光抗体法(IFA)
    血清反応により検出する。
  5. 動物接種試験法
    検体の一部をマウスに接種し、菌の検出をする。
  6. DNA解析法(PCR法)
    検体の浮遊液をテンプレートとしてPCRを施行し、迅速診断が可能である。数種類のマーカーをもちいて、最低3個の芽胞でも検出可能である。(地元の衛生研究所の対応状況は電話等で確認し、対応不可能な場合は衛生研究所経由で国立感染症研究所が対応可能である。)

臨床症状と診断(※8、10)

感染経路や病態から吸入(肺)炭疽、皮膚炭疽、腸炭疽に分けられる。通常は皮膚に付着した芽胞が、皮肩の傷から侵入して起こる皮膚炭疽が95%以上を占める。生物テロとしては、炭疽芽胞散布による吸入炭疽の可能性が最も高く、食品などに混入する場合も考えられる。

潜伏期間

吸入炭疽の潜伏期間は1〜6日であるが、60日に及ぶこともある。旧ソ連陸軍生物学研究所炭疽乾燥プラント漏出事故では、潜伏期は平均10日だったとされており、6週間の潜伏期を経て発病した例も報告されている。
この事件で、潜伏期の長期化した要因については、炭疽菌の芽胞が長期間肺胞内に残存する可能性や、被曝量が少ない場合に潜伏期が延びる可能性、2次エアロゾルからの感染の可能性が指摘されている。

吸入・皮膚・腸炭疽の概要
  吸入炭疽 皮膚炭疽 胃腸炭疽
感染経路 経気道 菌との接触(特に創傷部) 経口
潜伏期 1〜7日
(ヒトの報告では最長43日)
0.5〜3日
(ヒトの報告では最長12日)
1〜7日
初期症状 発熱・悪寒・多量の発汗・咳・頭痛・悪心・嘔吐・嘔吐・腹痛・下痢・虚弱・胸痛・胸部違和感ただし咽頭痛・鼻水・多量の痰はまれ 浮腫・かゆみを伴う斑 / 丘疹・円形の潰瘍・1〜3mmの小疱疹・無痛性黒色の痂皮形成(発熱・頭痛・リンパ節腫脹) 口腔あるいは食道の潰瘍・リンパ節腫脹・浮腫・悪心・嘔吐・不快感・腹痛・下痢
後期症状 急な発熱・血痰・胸痛・呼吸困難・多量の発汗・チアノーゼ・ショック・髄膜炎・メニンギスムス・せん妄・感覚鈍麻 リンパ管炎や有痛性のリンパ節腫脹・全身的な症状
(吸入炭疽と同じ)
急速に進展する血性下痢・吐血・急性腹症・ 敗血症・ショック・原発性の腸病変・大量の腹水など
検査所見 体温・37.8℃以上・脈100/分以上・末血白血球(好中球)数増加・GOT/GPT上昇・胸部X線/CT異常(縦隔拡大:70%・浸潤影・胸水) 初期には異常なし
(進行すれば吸入炭疽と同様と考えられる)
詳細なデータは少ない
(進行すれば吸入炭疽と同様と考えられる)
診断 疫学・臨床症状・各種検査
(検鏡・染色・培養・γファージテスト・PCR等)
小疱疹内容液・痂皮辺縁部・潰瘍底部スワブのグラム染色と培養・皮膚病変部の生検・進行すれば血液培養など 便培養・血液培養・その他は吸入炭疽参照
鑑別診断 急性肺炎
(細菌・ウイルス・マイコプラズマ・オウム病・レジオネラ肺炎など)・
野兎病・Q熱・ヒストプラズマ・サルコイドーシス・コクシジオイデス症・珪肺症・上大静脈症候群・インフルエンザ など
火傷の初期病変、擦過傷・刺傷等の外傷、類丹毒、潰瘍、梅毒性下疳など 食中毒・急性胃腸炎・炎症性腸疾患・消化性潰瘍・膵炎・肝炎・悪性腫瘍・肝硬変・ベーチェット病など
致死率 無治療では86%以上、適切な治療で約50%(米国における2001年のテロ) 無治療では10〜20%、適切な治療で 1%以下 無治療では25〜60%、適切な初期治療開始でのデータはない

吸入(肺)炭疽

感染経路

炭疽菌芽胞を吸入し、芽胞が2〜5µmの場合は肺胞に付着する。鼻、気管、気管支の線毛により、直径5µm以上の粒子はトラップされ肺胞には到達しない。
一方、0.3µ以下の小さい粒子は、通常肺胞に定着する前に体外に呼出される。芽胞は肺胞内でマクロファージに貪食されて、縦隔のリンパ節へと運ばれ出血性リンパ節炎を起こす。このリンパ節炎は、肺リンパの流れを途絶し肺水腫の原因となる。
出血性壊死性縦隔炎などから敗血症および毒素血症を生じ、患者は短い経過により、髄膜炎、ショック、肺水腫などで死亡する。菌8,000個の吸入で発症の恐れがあるが、より少ない菌数でも発症の可能性はある。

症状

発病初期には発熱、乾性咳、筋肉痛、倦怠感などのインフルエンザ様の症状を呈する。
芽胞曝露吸入後、多くは1〜6日程度の潜伏期の後に発症する。続いて頭痛や咳(乾性咳嫩)、悪寒、悪心、嘔吐、胸痛、腹痛、筋肉痛などの非特異的感冒様症状が発現する。この間の検査所見なども非特異的であり、症状は一時的に改善する場合もある。
胸部X線写真は縦隔の拡大を示す。これは出血性縦隔炎の徴候とみなされる。ときに著明な胸水の貯留をみとめる。通常は初期症状発症後、数時間から数週間(通常1〜3日)以内に突然症状が悪化する。半数近くに呼吸困難、発汗、低酸素血症、血圧低下、チアノーゼ、髄膜刺激症状、痙撃、昏睡、ショックが起こる。
この時期、縦隔リンパ節腫脹により気道が圧追され喘鳴を生じることがある。通常は発病後1〜3日で劇症化し、適切な治療がなされない場合、悪寒や呼吸困難を生じほぼ100%が死に至る。
胸部X線像で、胸部リンパ節炎による縦隔の拡大(出血性縦隔炎)が見られるのが、吸入炭疽の特徴の一つであるが、当初から肺炎像が主体となることもある。炭疽感染が疑われる場合は6時間毎に胸部X線で、縦隔拡大・胸水の有無をチェックしなければならない。胸部CTも診断上有用である。

皮膚炭疽

感染動物やその骨、毛皮、皮革との接触の際に、皮膚の切り傷や擦過傷から菌が表皮下に侵入し感染する。散布・塗布された芽胞の微粉末が、皮膚を通して侵人し感染することもある。比較的少ない菌量で感染が成立し、特徴的な病巣を形成する。
90%以上の病変は、衣服で覆われていない部分、すなわち顔、頸部、腕、手に起こる。感染後2〜3日で、顔面、頭頚部、手、前碗にかゆみが生じ、小さな紫あるいは赤色の虫さされあるいはニキビのような発疹を生じる。3〜4日で、水疱が紫色の腫れを囲むように出来る。
5〜7日で潰瘍が生じ、周辺の浮腫を伴い中央部に黒褐色の痂皮が形成される。所属リンパ節の腫脹も見られる。通常痛みはないとされる。

腸炭疽

感染動物の肉を十分に調理せずに摂取するなどの、汚染食品や飲み物を摂取する事で発症するが、ヒトでの発症は稀である。初期には感冒様の非特異的な症状を呈するのみで、特徴的な臨床症状はない。
腸炭疽は腸型と口咽頭型に分けられる。
腸型では、悪心、嘔吐、腹痛、吐血、血便、腹水貯留を呈し、放置されると外毒素によるショックや敗血症に進行し死に至る。症状が緩慢に進行する場合もある。
口咽頭型の場合、のどの渇き、嚥下障害、発熱、頚部リンパ節の腫脹がみられ、最終的に敗血症を起こす。出血性髄膜炎(炭疽菌性髄膜炎:溶血性髄膜炎)併発時には、意識消失から死に至る。

診断(鑑別)(※11)

吸入炭疽および腸炭疽の初期症状は、感冒や他の原因にもよる非特異的な症状を呈する。吸入炭疽では非定型肺炎に類似し、初期ではかぜ症候群、インフルエンザとの鑑別が重要である。口咽頭部の病変は、レンサ球菌性咽頭炎や咽頭腫瘍などと鑑別を要する。心肺虚脱症状を呈するが、これは非感染症による心血管虚脱(大動脈瘤破裂、解離性大動脈瘤、上大静脈症候群)でも起こりうる。胸部X線写真上の縦隔の拡大はヒストプラズマ症でもみられ、珪肺症、肺胞蛋白症、サルコイドーシスも慢性縦隔炎(縦隔拡大)の原因となりうる。これらの疾患との鑑別には過去のX線写真や病歴が役立つ。
皮膚炭疽では、火傷の初期病変、類丹毒、潰瘍、梅毒性下疳などとの鑑別が必要である。腸炭疽では、初期食中毒様の症状を呈するので注意する。

吸入炭疽の鑑別診断
急性細菌性縦隔炎 マイコプラズマ肺炎 レジオネラ肺炎
オウム病 ツラレミア Q熱
ウイルス性肺炎 ヒストプラズマ症 コクシジオイデス症
上大静脈症候群 珪肺症 サルコイドーシス

Dixon TC et al.: Anthrax. New Engl J Med 281: 1735-1745, 1999.

予防と治療(※8、10)

吸入炭疽の治療には積極的な呼吸循環管理が必要である。酸素投与と気管内挿管が多くの例で必要となる。細菌性ショックに対処するため、静脈内輸液も多くの場合必要である。
初期段階では抗生物質(ニューキノロン等)治療が有効だが、発病後48時間以内に抗生物質を内服しても致死率は高い(40〜90%)。感染後でも治療可能な疾患であり、事前のワクチン投与による予防よりも、菌曝露後の抗菌薬投与が治療の主体となる。
炭疽は4類感染症なので、法律上特定の病院への入院は求められないが、その特殊性から感染症専門医などのコンサルタントを求めるべきである。

予防:ワクチン投与

生物テロによる炭疽菌攻撃(吸入炭疽)の最も有力な予防手段は事前のワクチン投与であり、医療関係者や第一線救護者などのハイリスク群にはその適応がある。我が国では炭疽ワクチンは認可されておらず、生産も備蓄もされていない。
アメリカ、イギリスでは不活化ワクチン、中国、ロシアでは生ワクチンがある。この不活化ワクチンは、炭疽菌が分裂・増殖の際に産生される防御抗原(Protective Antigen : PA)に対する抗体を産生させるようにデザインされている。
しかし、皮膚炭疽には適応があるものの、肺炭疽での効果は未確認である(動物実験では有効性が示唆されている)。
米軍は兵士に炭疽の予防接種を行っており、160万回分以上のワクチン接種が行われている。米軍保有の炭疽ワクチンは死菌ワクチンであり、最初の1年半で6回、その後1年に1回の投与が必要となる。これまで重篤な副作用は報告されていない。

曝露後の予防的治療

白い粉などのエアロゾル被曝時には、シプロキサン(経口400mg/回を1日2回)またはドキシサイクリン(経口100mg/回を1日2回)の6〜8週間の予防内服を行う。
通常は6週間投与とするが、吸入量が多い場合には投与期間をさらに2週間延長する。吸入芽胞数が多い場合、肺から炭疽菌芽胞が除去されるのに相当期間を要するとみられているからである(抗生物質は芽胞に対しては無力)。
菌曝露後であってもワクチン投与により、投与期間を6週間から4週間に短縮することができる。しかし、曝露後のワクチン接種はそれ単独では吸入炭疽の発病を予防しない。

治療:抗菌薬投与

炭疽菌感染した患者を救命するには、早期の抗生物質投与が不可欠である。発病後48時間以内に抗生物質を投与したとしても、致死率は40%以上と高い。実際、抗生物質には、すでにできた毒素を除去する効果はない。
わずか数時間の投与の遅れが予後を左右する。炭疽が発生している地域で発熱や全身症状を呈する患者には、炭疽の可能性が除外できるまでの間は抗生物質の予防的投与が必要である。
炭疽菌を吸入した者に対しては、早期から適切な抗菌薬の投与を行う。
初期治療では、成人ではシプロフロキサシン400mg、12時間毎(静注)、小児は20〜30mg/kg/日(2回分割静注、総量1g/日以下)とする。妊婦・免疫不全者も同様である。
菌が同定され抗生物質感受性が判明したら、抗生物質の変更は可能である。成人はレボフロキサシン500mg(経口)24時間毎、またはオフロキサシン400mg (経口)12時間毎で代用できる。患者数が非常に多い時には、シプロフロキサシン500mg(経口、12時間毎)が推奨されている。
最近では、複数の抗菌薬の投与も勧められている。

アメリ力における推奨投与:Civilan Biodefense Study WG推奨(※8)

  1. 予防投与
    炭疽菌に曝露したと考えられる人への予防処置。投与期間は、60日が推奨。
    1. 初期投与
      感受性結果が判明するまで
      • 成人:シプロフロキサシン500mg/回 経口12時間毎
      • 小児:シプロフロキサシン20〜30mg/Kg/日経口 分2(1g/日まで)
      • 妊婦:シプロフロキサシン500mg/回 経口 12時間毎
    2. 感受性判明後
      感受性に従って、抗菌薬を投与する。
      • 成人:アモキシシリン500mg/回 経口8時間毎(あるいはドキシサイクリン100mg/回 経口12時間毎)
      • 小児:体重20kg以上アモキシシリン 500mg/回 経口 8時間毎
        体重20kg末満アモキシシリン 40mg/Kg 経口 8時間毎 分3
      • 妊婦:アモキシシリン500mg/回 経口 8時間毎
      ※ニューキノロン(フルオロキノロン)がないか使用禁忌の場合。
      • 成人:ドキシサイクリン 100mg/回 経口2回/日
      • 小児:ドキシサイクリン 5mg/kg/日 経口 分2
      [註]ニューキノロンやテトラサイクリンの副作用の危険性と、炭疽発症のリスクとを十分検討の上投与。炭疽菌がペニシリンに感受性なら、小児はアモキシシリン40mg/kg/日(最大l回500mg、1日3回)投与。
  2. 治療投与
    炭疽菌感染者への投与。投与期間は、60日が推奨。
    1. 初期投与
      感受性検査結果が判明するまで
      • 成人:シプロフロキサシン400mg 静注で12時間毎
      • 小児:シプロフロキサシン 20〜30mg/kg/日 静注で分2
      • 妊婦、成人免疫不全者:成人量に準じる
    2. 感受性判明後
      感受性に従って抗菌薬を投与する。大多数の炭疽菌はペニシリン感受性なので、第一選択薬はペニシリンである。
      • 成人:ペニシリンG 400万単位 静注で4時間毎
      • あるいは ドキシサイクリン100mg 静注で12時間毎
      • 小児:12歳未満:ペニシリンG 5万単位/mg 静注で6時間毎
        12歳以上:ペニシリンG 400万単位 静注で4時間毎
      • 妊婦、成人免疫不全者:成人投与量に準じる

治療後の経過

吸入炭疽と腸炭疽の一部を除けば、病状の進展は徐々で致死率も20%前後とそれ程高くない。吸入炭疽における抗菌薬投与期間については、高死亡率のため確立していないが、症状消失以降も少なくとも14日間の抗菌薬の投与継続が推奨されている(※11)
別の報告では、症状回復後も抗菌薬を静注薬から経口薬に代えて、合計60日間の投与が勧められている(※8)
皮膚炭疽の約80%は約10日で治癒するが、そのまま治療せずに放置しておくと、高熱、副腎の肥大、浮腫などがみられ、敗血症から外毒素によるショックを起こして死に至ることもある。
腸炭疽のヒトヘの感染は稀であるが、発症後の経過は急速で、口咽頭部感染では50%、髄膜炎ではほぼ100%死亡する。感染が疑われる場合、抗生物質の早期投与は重要である。

除染

生物テロ時でのエアロゾル散布時には、エアロゾルが空中に存在する間は感染を生じる危険がある。エアロゾルは、最大でも数時間から1日で非エアロゾル化するといわれている。地面などに落下した炭疽菌が再びエアロゾル化して、ヒトに危害を及ぼす可能性は非常に低い。
このため、環境を除染する必要性はない。しかし、炭症菌で直接汚染した場所や炭症菌が散布された地点では、汚染の程度によっては除染の必要が生じてくる。
ヒトに対する除染は基本的には必要としないが、白い粉などの付着時には脱衣後に石鹸と水で洗浄する。次亜塩素酸塩は、炭疽菌芽胞の静菌効果がある。

炭疽への対応

炭疽菌感染症は、「感染症法」では4類全数把握疾患に分類される。診察した医師すべてに7日以内の報告義務がある。
しかし、米国での炭疽事案以降、本邦では厚生労働省から「国内における生物テロ事件発生を想定した対応について」(平成13年10月)で「感染者(疑われる感染者を含む)を診察した場合は、最寄りの保健所への届け出や、国立感染研究所への情報提供」の通知が出されている。

治療時における管理と注意事項

医療従事者は診察の前後では、手袋着用と手洗いを徹底する。肺からの菌排出がなくヒトからヒトヘは感染しないので、患者に接触する人(家族や医療従事者など)には標準的予防策(Standard precaution)が推奨される。
しかし、菌血症や敗血症患者からの刺針事故では、抗菌薬の予防内服が必要である。
テロでの炭疽菌散布では、空気感染が可能なように微粉末にする技術が使用されており、くしゃみにより芽胞が飛散することも予想され、患者のケアーではマスク、手袋、防護衣、眼鏡などの着用が堆奨される。腸炭疽でも、患者の下痢便や腹水、血液などに直接接触する可能性がある場合は、手袋を着用する(経口感染予防策:enteric precaution)。皮膚炭疽でも皮膚外傷部から感染する可能性があるので、治療に当たっては手袋を着用したはうがよい。
感染者や疑似感染者が来院した場合には、医療従事者が汚染を受けないように防護に十分注意する。但し、標準的予防策で十分である。来院患者には、被害にあったときの状況(いつ、何処で、どのように)、粉末等の処埋状況、ほかのヒトの関与状況、警察等への連絡状況等を確認する。速やかに関係機関へ連絡する。日頃から警察、保健所、地方衛生研究所、地域の基幹病院、医師会等との連絡方法を明確にしておく。

白い粉発見時

最大の注意点は、パニックにならないようにすることである。炭疽菌は基本的にヒトからヒトへの感染はなく、万一炭疽菌に曝露されても、適切な治療を早期に受けることで発症を防ぎうる。発症後の治療法もあることなどを、感染者、疑似感染者、被曝者および周囲の人たちによく説明する。
汚染部位を、流水と石鹸で十分洗浄する。衣服も汚染した疑いがあるのなら、脱いでビニール袋などに密閉し、結果が判明するまで開けないように指示する。石鹸は普通のものでよいが、皮膚に対して漂白剤や消毒剤を使わないように注意し、うがいを推奨する。
直ちに警察や保健所へ連絡し、指示を受けるように説明する。粉体の場合は、飛び散らないように身近なもので覆い、保健所の検査結果を待つよう指示する。あちこち歩き回らないで、炭疽菌に曝露された場所の近くの別の場所で警察あるいは保健所の指示を待つよう伝える。緊急の治療を要する時以外は、あわてての直接来院は控えて貫うようにする。

肺炭疽患者例(米国)

2001年9月11日米国同時多発テロの翌日、米国CDCは各州の公衆衛生当局に対して、生物テロを念頭に入れた拡大サーベイランスを指示し、ニューヨーク市では30〜50名の実地疫学調査の専門家(EIS: Epidemiology Intelligence Service)を病院救急部に配置するなど生物テロ事例の早期発見に努めていた。
しかし、フロリダ州で10月4日に肺炭疽例が確定されたのを皮切りに、ニューヨーク市、ニュージャージー州、ワシントンDC、コネチカット州において計22名の患者(11名の肺炭疽、11名の皮膚炭疽)が発生し、内5名が死亡した。
今回アメリカで使用された菌は、1980年にアイオワ大学エ一ムズキャンパスで発見されたエ一ムズ株で、吸入し易いように微細化してあった。
22症例(吸入11例、皮膚11例)は、20例で炭疽菌の混入した郵便物を取り扱っていた。平均年齢は46歳(6ヶ月〜94歳)、男性12例(女性10例)で、吸入炭疽の初期5例が死亡した。封筒内の白い粉から4例、患者からは17例で炭疽菌が分離培養された(※12)
吸入(肺)炭疽10例の潜伏期間は平均4日で、初期症状は10例で悪寒・倦怠感・空咳、9例で嘔気・嘔吐、8例で呼吸困難があった。
検査成績では10中8例で好中球優位の白血球増加9.8×103/mm3(7.5 〜13.3)、AST/ALT上昇が9例、低酸素血症が6例にみられた。胸部レ線では浸潤影 7例、胸水8例、縦隔拡大7例、胸部CTでは縦隔リンパ節腫大が8例中7例に認められた。多剤抗生物質(シプロキサン+リファンピシン+バンコマイシン/クリンダマイシン)・集中治療にて、死亡は初期の5例のみであった(※13)
原因としては、特殊に加工された炭疽菌芽胞入りの4〜5通の封書が、郵便局での汚染を引き起こしたと推測されている。テロの影響は患者発生にとどまらず、郵便局及び上院議員事務所の閉鎖、3,000件以上の白い粉の検査、約33,000名の予防内服及び抗菌薬の枯渇といった政治的・社会的・経済的パニックが発生した。
この事例をきっかけに、日本を含め全世界的に白い粉事件といった便乗いたずら事案が多発した。