ロジスティックとの関わり

ルワンダ難民キャンプ

私がロジスティックとの関わりを始めたのは海上自衛隊の遠洋航海時で練習艦隊の艦船に医療資材や真水、食料品(生鮮食料品も含む)搭載、調達等の後方支援であった。
その後退官し、1994年8月から10月にかけてAMDA(The Association of Medical Doctors of Asia)のRRRG ルワンダ難民救援グループ(Rwanda Refugee Relief Group)が実質的な体験になりました。中央アフリカの旧ザイル共和国(現在はコンゴ共和国)とルワンダ共和国国境地帯に接したゴマ市ギブンバ難民キャンプ(難民30万人)に派遣された事を少し話したいと思います。
UNHCR添付英文資料のとおり、飲料水のdistributionと感染症、疾病患者数と死亡者数のグラフに注目して下さい。給水率が上がると患者数、死亡者数が減少し、いかにdistributionの重要性がわかると思います。
また、ここでの1人に対する飲料水の数量をORS(Oral Rehydration Solution)を基準にして1人3Lの必要量を決定した事です。logisticsの重要な決定ではなかろうかと思います。

ゴマ市の近郊にある湖水ギブ湖から難民キャンプまでタンクローリー車で搬送し、主要道路わきの看板にK-1からK-12(キブンバキャンプ頭文字のK)エリア地域を12地域に住居地帯を決定し地帯を把握している。
設置されたウォーターバックそのエリアには、10m × 10m × 1mの黄色のウォーターバックが設置され、タンクローリー車で1週間毎に入れ替えていた。また、蛇口も節水用で下から押さないと給水できない蛇口が4本装備されていた。
また、難民キャンプの奥の所まで給水できるように高架タンクで圧力をかけ給水すればいいと思っていたら、その数週後私の思っていたことが実行されたことは驚きだった。

医療キャンプは、この重要道路に面していてMSF(国境なき医師団)、ICRC(国際赤十字社)、IFRC(国際赤十字赤新月社連盟)、ゴールが陣取り入院施設、そして診療所を運用していて遅れてきた日本のNGO、GOとの規模と内容のレベルの差を感じた。
また、医療施設内の撮影は難民患者のプライバシーの観点でNGだった。非常にこのことも感銘した。

食料はWFP(国際連合世界食糧計画)が配給し、トラックから略奪混乱が無いように石を並べて難民の長い出入り口を作り、また糧食の集積場はブルドーザーで掘り起こした土で浸入出来ないようにして混乱を防いでいる。
公衆衛生上では、この主要道路の右側地帯が住居区きれいな場所、左側地帯はトイレ、汚物、死体置き場、死体は道路わきに「アシ」で編んだ荒袋に包まれ、朝8時頃専用トラックに荷物のように積み込まれ、ジャングルの中のブルトーザーの穴に投げ込まれていた。
また、お産をする若い女性も1人でジャングルに入って1時間もしないうちに赤ちゃんを抱きかかえて出てくる。すごい体力だと感激した。その場所は、死産だった子供の頭蓋骨が転がっていた。
食料物資の配給このルワンダ共和国救援を支えているのはアフリカに近いヨーロッパの多国籍のボランティアがほとんど活動的だったのはMSFで給水タンクローリーの運転、重機の運転、C-100輸送貨物機、医療施設メディカル、パラメディカルスタッフがほとんどベルギー人が仕切っていた。

ゴマ市の中央にあるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の事務所があり毎朝ロジスティックのミーティングが開催される。このミーティングリーダーでロジスティックはスーパーマーケットの親父ではないと力んで発言していた。でも和やかな雰囲気であった。
また同時にセキュリティーミーティングもあり、我々のAMDAハウスがUNHCRで認知していなかったので急いで申請し、私がハウスのセキュリティーオフィサーにされ、またハウスの場所も住所も分からないので、担当者が同行してもらい確認してもらった。
セキュリティーに欠かせないトランシーバーを日本から我々チームは持参していたが、アメリカのNGOはトランシーバを持っていない事がラジオマンオフィサーに分かられ(命は誰が守るんだ)と怒られていた。オフィサーにより一般通信用、緊急通信用、共通波の3波の周波数が割り当てられていた。
緊急時はGX(Golf X-ray)を頭にUNHCRを呼び出せとの事。
また、我々チームの為、HF帯でナイロビ日本大使館で昔使用していた周波数を借用し毎朝の定時セキュリティ確認、また物資補給発注搬送で、長距離通信(ナイロビJICA)、ゴマ AMDAハウス、ブカブ ゲストハウスを通信の確保をした。
通信に慣れているローカルワーカーがケネディー時代に、平和部隊でアメリカが国際的に派遣するための通信の訓練でPhonetic code(通話表)を教えられその通り通信を行っていた。皆さんも覚えていた方がよいと思います。
Phonetic codeとは、例えば「A」はAlphaの「A」、「B」はBravo「B」と全世界の国際通信に関係している方は必ずマスターしてください。
最後に、このルワンダ難民の我々の看護師 妹尾美紀(せお みき)さんがなんと1人で感染症予防のため2トンの石鹸を、ナイロビからブカブの難民キャンプへ運んだ事です。すごいロジッシャンです。
これら海上自衛隊時の経験、ルワンダ難民のNGO時の活動を通し、その実績からJICA国際緊急援助隊医療チーム(Japan Disaster Relief Team)のメディカルコーディネ−タとして災害派遣され、また1998年2月に総理府のPKO(Secretariat of The International peace Cooperation headquarters)からのアフガニスタンの平和構築の調査、JICA医療専門官(Japan International Cooperation Agency)として2003年3月イラク戦争勃発時シリア国へ医療先遣隊として活動をしている。